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2010年11月 アーカイブ

キャリアウーマンの世代論

世代とは、語源的には「おおむね30年を区切りとする」人間のとらえかたです。


しかし、変化が激しく、時の流れが早いような時代には、「10年区切り」くらいのほうが実感に合致することが多いですね。


「昭和ひとけた世代」といった呼びかたは、その代表的な例でしょう。


そのほか、新しい傾向を特徴づけるときなど、世に登場した順に、第一世代、第二世代といった呼びかたをすることがあります。


たとえば「岡本綾子の登場は、女子プロゴルファーの第二世代の始まり」といわれるような例があります。


ここでいう「キャリアウーマンの世代論」も、そうした視点からの分類です。


第一世代は「男まさり」型


キャリアウーマンの第一世代の特徴は、ひと口でいえば「男まさり」といわれるような能力と根性の持ち主が多いことです。


たとえば月刊『旅』の編集長として知られた戸塚文子さんや、高島屋の石原一子常務取締役などでしょうか。


若き日の戸塚さんには、交通公社が募集要項に「男子のみ」と書き添えるのを忘れたことに乗じて入社試験を突破したというエピソードがあります。


そうした体質の職場で、編集長にまで昇進するには、「男なみ」以上、「男まさり」の奮闘が必要だったに違いありません。


後に、旅のエッセイ・旅行ガイドなどのフリーライターとして、広くマスコミで活躍されました。


また石原さんは、当時、キャリアウーマンの出世頭として有名な存在であり、「男まさりの働きぶり」を実践するだけでなく、後輩に当たる女性たちにも説き、各方面から注目されていたものです。


派遣 千葉で働くキャリアウーマンのお手本ともいえる2人ですね。

鑑真和上の沖縄上陸

こんにちは。


わたしのもっとも尊敬する歴史上の人物は、何を隠そう鑑真和上です。


そんな鑑真が、沖縄ツアーで人気のある沖縄に上陸したときのことはあまり知られていないようなので、このブログでぜひ紹介したいと思います。


鑑真の沖縄逗留は十数日・・・。


やがて海上は、風も波もおさまり、一号船の藤原清河と阿倍仲麻呂組は、12月6日に、帆を上げて北の方瑠勢の島々さして出発しました。


しかし、この一号船はよほど運にめぐまれぬ星廻りらしく、又もや風にもてあそばれて南へ南へと流れていきました。


一号船の阿倍仲麻呂は、先に遣唐留学生として中国に渡り、唐六代目の皇帝玄宗にみとめられて、秘書監と衛尉卿(従三品)に任ぜられていました。


それが鑑真和上らとともに奈良へ帰ろうとして沖縄島に辿りついたのですが、暴風雨にあって安南(インドシナ)に漂着。


帰国をあきらめて唐に帰り、粛宗に仕え、その後、鎮南都護となり、安南の宣撫に当りました。


その後、任を解かれて長安に帰り、ここで在唐54年の一生を終るのですが、その間、李白や王維ら、唐一流の文人と交わり、日本の留学生たちの面倒をみたりしました。


唐名を朝衡と称したことや、望郷の和歌は有名ですが、漢詩の作品も多いのです。


天の原 ふりさけ見れば春日なる


 三笠の山に 出でし月かも


・・・さて、名僧鑑真和上の乗った二号船は、どうなったのでしょうか。


二号船が沖縄を出帆したのは一号船出帆の直後、即ち同日でしたが、これは順風にめぐまれて益久(屋久島)や多禰(種子島)を経て、薩摩の秋妻屋浦(坊の津)に上陸しました。


時に天平勝宝5(753)年12月20日で、26日大宰府へ出頭。


翌年2月4日奈良へ無事到着しました。


最初の計画から13年目、5度の渡航失敗を経て、6度目にやっと成功しました。


鑑真はすでに68歳でした。

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