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2010年12月 アーカイブ

"政治"の領域とは

20年前から若者を犠牲にして「老人」のためにおこなわれてきた暗黙の選択は、たんにそのもろもろの効果において疑わしいだけではありません。


もしも100歳以上のかくしゃくたる老人や職のない若者をしだいに無視するようになるならば、この選択はさらにいつの日かくつがえされるにちがいない、と。


しかし、このような正常な意識を抱いたとしても・・・


それは教室がなかったり身近にトイレがなくて悩んでいたリセ「国立高等学校」の生徒たちがついに行動に立ち上がるのを待望する意思決定(有名な「第3のレール」)以外に、なにものももたらすことはありません。


フランスではリセの生徒たちが練り歩きました。


同じようにしてスペインのトラック運転手は道路を封鎖し、イギリスの環境保護派はサセックスで野営。


イタリアの公務員は出勤に際して精勤手当の支給を求めました。


そして、かれらはすでにそれを手に入れたのです。


そしてなによりもこれらのデモ行進は、一般に後になってさまざまな円卓会議やもろもろの措置をもたらすのです。


したがってものごとを見きわめようとしない人を別にすれば、今日、つぎのことがきわめてはっきりしているように思われます。

"政治"の領域とは 2

今日では、(所得およびその他の)利益分配が自由主義的イデオロギーの純粋に商品経済的なロジックにはいささかも照応していません。


しだいにはびこりつつあるネオ・コーポラティズムのより微妙なロジックに見合っている、ということがそれです。


・・・このような状況においては、各人がパイの分け前を手に入れるのはつぎのような対決を通してです。


つまり、脅し、抜かりなさ、数の優位、買収、交渉の手際よさが生産性の格差よりもはるかに大きな比重を占めるような対決が、それです。


生産性の格差は、いまや大多数のサービス活動においてまったく無内容となっています。


このコーポラティズム的資本主義は、それでも政治家を必要とするのでしょうか。


技術的な視点からすると、それは疑わしいものです。


今日の議会主義に代わって、主要な社会的選択が定期的な国民投票の実施や規則にもとづく日常的な管理にしたがっておこなわれるようになったとき・・・


国民国家の社会がその日常生活において、またこの社会の進展において、いかなる影響を受けるのか、という点についてはあまりさだかではありません。

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