リットン・インダストリーズ 2
彼は技術は苦手ということがわかり、経済学専攻にかわりましたが、2年で退学してしまいます。
地方にいては働き口がありませんでした。
そこでニューディールで役所がつぎつぎとできていたワシントンに行くことを決意します。
ワシントンで、いくばくもない所持金が尽きようとしたとき、ようやくAAA(農業調整庁)で下級書記(年俸1260ドル)の口にありつきます。
そこからスタートして、彼はいくつかの官庁を飛び歩き、1937年にはアメリカ住宅庁の統計部で俸給1800ドルをとっていました。
この間、夜は最初ジョージ・ワシントン大学、つづいてコロンブス大学に通い、商業学で学士の資格をとっています。
さらに1940年にはソーントンは住宅庁で統計専門の管理職となり、年俸も4600ドルになっていました。
ガルブレイスのいう「いっぱしのテクノクラート」になっていたわけです。
ちょうどそのころ、彼が書いた低コスト住宅融資に関する報告書が、偶然にも陸軍次官のロバート・ロベットの目にとまりました。