"政治"の領域とは 8

西ヨーロッパ諸国は、しだいに分権化しつつあり、すでにいくつかの地域が分離を要求するまでに至っています。


バルカン人は、至福千年の郷土の闘いを再開することをもっぱらを望んでいます。


中国人は、たとえ《中華》であろうとも、自分が帝国にいると思うのがきわめて困難となっています。


カナダ人は分裂増殖におびやかされており、アフリカ諸国はヨーロッパの何人かの外交官が自分の定規とコンパスを使って大陸を切り分けた時代よりも前に戻りたいと望んでいます。


政治なき資本主義ははたして《歴史》の終焉の始まりを告げることになるのでしょうか。


コミュニケーションが「大量に」なることによって初めて、《歴史》の終焉が物笑いの種とならずにまじめに語られるようになりました。


たしかに別の時代にも、ノストラダムスが世界の終焉を告げることによって注意を喚起したことがあります。


今後何年かにわたって生き延びることを余儀なくされている「狼狽する資本主義」は、今日いったい何を約束するのでしょうか。


それはいかなる進歩を、いかなる対立のもとで、約束するのでしょうか。


"政治"の領域とは 7

世界的エリートは、もはや国民国家のかぎられた領域でものごとを考えてはいません。


肉体的・精神的ノマディズムに冒されています。


しかし、これに対して、市民は、都市、地方、都市近郊のいずれであれ、ふるさとがもつ自然で、健全な、そして心安らかな快楽を再発見しています。


旧来の資本主義国家の心理学的な分裂はすでに始まっており、それはとりわけ社会主義世界の経験を経て以降、それ独自の作用をはぐくむ恐れをもっています。


今世紀初頭以降の不安定な国民国家のこのような退却は、過去の時代のノスタルジアを生み出し、はぐくんでいます。


つまりそこでは、現存の政治的共同体が資本主義に自己表現の可能な最良の条件を保証する必要性にではなく、かつての感情的な現実(言語、慣習、習俗、文化)に依拠しようとしているのです。


現存の国家がもはや資本主義の冒険を追求するのにふさわしくなくなっているだけに、達成された成果はなおさらこのノスタルジアの追求を正当化しています。


かくして政治の地表は、世界のあらゆる緯度において引き裂かれるのです。


ロシア帝国は、スラブ人にお似合いのおしゃべりとともに分裂したのですが、それよりもはるかに口が堅い資本主義世界もまた、さまざまな亀裂を見せています。

"政治"の領域とは 6

《政治》に対する無関心と敵意は、だれもが抱いているエゴイズムやねたみを表すだけにとどまらないものです。


この2つの態度がふたたび勢いを盛り返したのは、感情的な根がある以上に、世界資本主義の冒険において国民国家の役割がゆるやかではあるがたえず減退し続けているということに起因しています。


世界資本主義の主体がしだいに地域的になりつつある生活を送っているのに対して、世界資本主義の設計はしだいに国民国家間的な、あるい超国民国家的な内容になっています。


世界市場、あるは大陸的規模の市場には、それにふさわしい政治組織が必要である・・・


このような政治組織の権力は、今世紀のなかば以降たえず増大しています。


地球的規模の寡占が同じ領域の対抗権力を必要としているのです。


この必要は、たんに国連が今日圧倒的な賛同を得ているような領域だけにとどまらないものです。


ウルグアイ・ラウンドの交渉が終了を迎えている(?)状況は、GATTの権力がたえず減退しつつあることを、その結果世界貿易の伸展がしだいに二国間的になり、この伸展にGATTの権力が憂慮すべき作用を及ぼしつつあることを、示しています。


"政治"の領域とは 5

社会的課税はいわゆる発展途上国においてきわめて高いものです。


ついで下落し、工業化の要請によって社会システム全体にさまざまな経済的制約(貯蓄および労働)と道徳的制約(義務、実直さ、謙虚)が課せられる時期が過ぎると改めて上昇します。


今日、勝利を収めた資本主義における政治的機能の質-費用関係は、あからさまに低下しています。


この点に関する公然たる無関心は、政治の役割が減退していることの現れにすぎません。


政治的機能の費用が増大し続けるとするならば、政治に対する敵意が始まることは十分に予想できるでしょう。


この敵意は、無政府の誘惑から生ずることもありえます。


もちろん中世の《自由平民》から現代の《赤い旅団》にいたるまでのテロリズムをはぐくんだこの無政府主義的イデオロギーの復活が重要だというわけではないでしょう。


資本主義は数年前まではまだこのテロリズムの本拠地であり、したがってその復活がまったく考えられないというわけではありません。


・・・しかし、もはや献身、実直、自己規律のユートピアの時代ではありません。


テロリストの一団が資金を手に入れる源泉が枯渇しただけになおさらです。


その代わりに、あらゆる道徳的根拠を欠いた無政府性がはびこり、たんなる個人的便宜から政治的権力の権威に異議申し立てをおこない・・・


ついでこの権威を拒絶しうるという態度がはびこることによって、国民国家が見放した領土に炎が燃え広がる可能性があります。


"政治"の領域とは 4

人によっては、買収が所得にはけっして許されないような財産の道を切り開きます。


たとえこの財産が、裁判所や税務署の手の届かない場所にあったとしても、そうです。


実際、政治的機能にかかわる判断は、政治的機能の質・・・


費用関係についての漠然としたものですが、一般に受け入れられているよりもはるかに根拠のある集団的意識に依存しています。


・・・ところでこの質は、発展水準とともにたえず衰えていきます。


発展水準が高まれば高まるほど、社会システムは複雑となります。


それゆえ管理の必要はますますはっきりとしてきます。


他方では、政治的選択にゆだねられる自由の幅は狭められます。


社会的課税の量に関して言えば、それはいわゆるさかさつり鐘型の進展に従っているのです。

有機農業

有機物の投入による有機農業土づくりを重視し、肥料・農薬に化学薬品を使用せず、土壌生態系の保持と安全な食糧生産をめざす農法のことを、「有機農業」という。

戦後わが国の農業は化学農法によって生産力を高めたが、それは、一方で、地力の低下や農薬害(化学肥料や新農薬の大量使用による毒性の残留)さらに生態系の破壊などをもたらした。エグゼクティブトレードによると、このような無機物中心の化学農法への反省として提唱されているのが、有機農業である。

ただ、有機農業といっても、無農薬・無化学肥料の自然農法から省農薬・省化学肥料農法まで、その幅は広い。

なお、有機農業運動は、安全食品を求める消費者運動にも支えられ、各地で進展をみせている。


"政治"の領域とは 3

地方自治体に関して言えば、任命される行政官よりも選出される市会議員を優位に置くべきだとあえて主張する者は、いかにも軽率でしょう。


ケインズのつぎのような有名な判断を政治的職務の執行にまで拡大する者は、純然たる傍観者にすぎないでしょう。


「より少ない費用で議員の任務を遂行することに同意する人びとを見つけだすことができなければなるまい」、という判断がそれです。


政治的機能の今日におけるような組織を保持することがはたして妥当か否かという問いは、この組織の費用の程度を明らかにして初めて意味をもつのです。


今日この費用は高くなっていますが、それはこの費用が発展の水準とともにたえず規則的に増加するからです。


いたるところでこの組織要員の数が増大し、それに加えてこの要員の報酬も同じ傾向をたどりました。


かれらの報酬は、それを隠す必要のないときに自尊心を満足させるようにして差し出される俸給とはもはや同一視されません。


この報酬に加えて、神格化された君主のようにお金なしで暮らすことのできる現物の特典、まぎれもない専有物、政治の特権があたえられるのです。

"政治"の領域とは 2

今日では、(所得およびその他の)利益分配が自由主義的イデオロギーの純粋に商品経済的なロジックにはいささかも照応していません。


しだいにはびこりつつあるネオ・コーポラティズムのより微妙なロジックに見合っている、ということがそれです。


・・・このような状況においては、各人がパイの分け前を手に入れるのはつぎのような対決を通してです。


つまり、脅し、抜かりなさ、数の優位、買収、交渉の手際よさが生産性の格差よりもはるかに大きな比重を占めるような対決が、それです。


生産性の格差は、いまや大多数のサービス活動においてまったく無内容となっています。


このコーポラティズム的資本主義は、それでも政治家を必要とするのでしょうか。


技術的な視点からすると、それは疑わしいものです。


今日の議会主義に代わって、主要な社会的選択が定期的な国民投票の実施や規則にもとづく日常的な管理にしたがっておこなわれるようになったとき・・・


国民国家の社会がその日常生活において、またこの社会の進展において、いかなる影響を受けるのか、という点についてはあまりさだかではありません。

"政治"の領域とは

20年前から若者を犠牲にして「老人」のためにおこなわれてきた暗黙の選択は、たんにそのもろもろの効果において疑わしいだけではありません。


もしも100歳以上のかくしゃくたる老人や職のない若者をしだいに無視するようになるならば、この選択はさらにいつの日かくつがえされるにちがいない、と。


しかし、このような正常な意識を抱いたとしても・・・


それは教室がなかったり身近にトイレがなくて悩んでいたリセ「国立高等学校」の生徒たちがついに行動に立ち上がるのを待望する意思決定(有名な「第3のレール」)以外に、なにものももたらすことはありません。


フランスではリセの生徒たちが練り歩きました。


同じようにしてスペインのトラック運転手は道路を封鎖し、イギリスの環境保護派はサセックスで野営。


イタリアの公務員は出勤に際して精勤手当の支給を求めました。


そして、かれらはすでにそれを手に入れたのです。


そしてなによりもこれらのデモ行進は、一般に後になってさまざまな円卓会議やもろもろの措置をもたらすのです。


したがってものごとを見きわめようとしない人を別にすれば、今日、つぎのことがきわめてはっきりしているように思われます。

鑑真和上の沖縄上陸

こんにちは。


わたしのもっとも尊敬する歴史上の人物は、何を隠そう鑑真和上です。


そんな鑑真が、沖縄ツアーで人気のある沖縄に上陸したときのことはあまり知られていないようなので、このブログでぜひ紹介したいと思います。


鑑真の沖縄逗留は十数日・・・。


やがて海上は、風も波もおさまり、一号船の藤原清河と阿倍仲麻呂組は、12月6日に、帆を上げて北の方瑠勢の島々さして出発しました。


しかし、この一号船はよほど運にめぐまれぬ星廻りらしく、又もや風にもてあそばれて南へ南へと流れていきました。


一号船の阿倍仲麻呂は、先に遣唐留学生として中国に渡り、唐六代目の皇帝玄宗にみとめられて、秘書監と衛尉卿(従三品)に任ぜられていました。


それが鑑真和上らとともに奈良へ帰ろうとして沖縄島に辿りついたのですが、暴風雨にあって安南(インドシナ)に漂着。


帰国をあきらめて唐に帰り、粛宗に仕え、その後、鎮南都護となり、安南の宣撫に当りました。


その後、任を解かれて長安に帰り、ここで在唐54年の一生を終るのですが、その間、李白や王維ら、唐一流の文人と交わり、日本の留学生たちの面倒をみたりしました。


唐名を朝衡と称したことや、望郷の和歌は有名ですが、漢詩の作品も多いのです。


天の原 ふりさけ見れば春日なる


 三笠の山に 出でし月かも


・・・さて、名僧鑑真和上の乗った二号船は、どうなったのでしょうか。


二号船が沖縄を出帆したのは一号船出帆の直後、即ち同日でしたが、これは順風にめぐまれて益久(屋久島)や多禰(種子島)を経て、薩摩の秋妻屋浦(坊の津)に上陸しました。


時に天平勝宝5(753)年12月20日で、26日大宰府へ出頭。


翌年2月4日奈良へ無事到着しました。


最初の計画から13年目、5度の渡航失敗を経て、6度目にやっと成功しました。


鑑真はすでに68歳でした。

アーカイブ

2012:02 2012:01 2011:12 2011:11 2011:10 2011:09 2011:08 2011:07 2011:06 2011:05 2011:04 2011:03 2011:02 2011:01 2010:12 2010:11 2010:10 2010:09 2010:08 2010:07 2010:06 2010:05 2010:04 2010:03 2010:02 2010:01 2009:12 2009:11 2009:10 2009:09 2009:08 2009:07 2009:06 2009:04 2009:02 2008:11 2008:10 2008:09 2008:07

管理人のお気に入り