キャリアウーマンの世代論

世代とは、語源的には「おおむね30年を区切りとする」人間のとらえかたです。


しかし、変化が激しく、時の流れが早いような時代には、「10年区切り」くらいのほうが実感に合致することが多いですね。


「昭和ひとけた世代」といった呼びかたは、その代表的な例でしょう。


そのほか、新しい傾向を特徴づけるときなど、世に登場した順に、第一世代、第二世代といった呼びかたをすることがあります。


たとえば「岡本綾子の登場は、女子プロゴルファーの第二世代の始まり」といわれるような例があります。


ここでいう「キャリアウーマンの世代論」も、そうした視点からの分類です。


第一世代は「男まさり」型


キャリアウーマンの第一世代の特徴は、ひと口でいえば「男まさり」といわれるような能力と根性の持ち主が多いことです。


たとえば月刊『旅』の編集長として知られた戸塚文子さんや、高島屋の石原一子常務取締役などでしょうか。


若き日の戸塚さんには、交通公社が募集要項に「男子のみ」と書き添えるのを忘れたことに乗じて入社試験を突破したというエピソードがあります。


そうした体質の職場で、編集長にまで昇進するには、「男なみ」以上、「男まさり」の奮闘が必要だったに違いありません。


後に、旅のエッセイ・旅行ガイドなどのフリーライターとして、広くマスコミで活躍されました。


また石原さんは、当時、キャリアウーマンの出世頭として有名な存在であり、「男まさりの働きぶり」を実践するだけでなく、後輩に当たる女性たちにも説き、各方面から注目されていたものです。


派遣 千葉で働くキャリアウーマンのお手本ともいえる2人ですね。

大都市の清掃事業

今回は、大都市の清掃事業について。


大都市の清掃事業における資源化率(収集量に対して占める、回収された有価物の割合)は、12大都市(1988年4月に政令指定都市になった仙台市を含む)で平均すると1・45%に過ぎません。


ただし、こうしたなかにあってリサイクル型の分別収集を実施している仙台や広島では3・5%から4%を越えるほどの高い実績となっているのに対し、大阪や神戸は1%にも及びません。


この点、東京はどうかというと、都はびん・ガラス類と空き缶の分別収集を足立区の一部で行ってきました。


しかし、それを別にすると、可燃ごみと分別ごみ(金属、ガラス、プラスチックなど)、それに粗大ごみ(収集は申し込み制)の3種にわたる分別収集をしているものの、資源回収型の分別収集はしていません。


もっとも、分別ごみと粗大ごみは、収集後にそれぞれの中間処理施設に搬入され、破砕されたのちにマグネットでもって鉄分は回収されていますし、リサイクルトナーを推奨しています。


その量は、1989年度で分別ごみの鉄分が1日100トン、粗大ごみ(廃材等の持込み分を含む)が50トンとなっています。


これは一見かなりの量ですが、都の1日の分別ごみが1250トン、粗大ごみが400トンに達していて、それに対する鉄分の回収率は前者が8%、後者が12%にとどまり、好成績とはいえません。


・・・というのも、たとえば分別ごみ(局収分)の組成を調べると、分別ごみに占める鉄分の割合は18%を上回っているのに、実際に回収されたのはその半分にも満たないからです。

海の資源 3

当時のルーズベルト政権の内務長官は、大統領へあてた手紙で、このようなことを書いています。


「私は、大陸棚のもつ重要性を、わが国の防御物として考えるよりももっと、天然資源の備蓄庫としての可能性をもつものとして、貴殿の注意を喚起したいのであります」。


では、この資源とは何を指すのでしょうか?


彼の意見によると、大陸棚は「あらゆる魚類が生息するのに適している場所」であり、「われわれの大陸と地続きであることから、おそらく、石油やそれに類する資源が埋蔵していると思われる」のでした。


こうした前置きを踏まえて、彼は、非常に重要な提案をしています。


「私は、この海面下の土地に隠された資源、そしてそれらを覆う海水を利用するための下準備にいま、取り掛かることを提起いたします」。


内務長官は、明らかに、彼が提案していることへの法的な範疇を知っていました。


「このことに関わる国際法、そして国内の法的、倫理的な問題は、複雑多岐にわたります」と彼は続けました。


「国際的な方面においては、領海が沖合3マイルという境界を越えるべきであり、それを越えた公海の海面、そして海底を占有し開発できる権利についての新しい考え方を、徐々に広めていことが必要となるでしょう」。


ルーズベルトは、この考えが気に入りました。


ルーズベルトは、彼の手紙を国務長官に、直筆メモをつけて送りました。


「長い聞、私は境界は沖合3マイルという古い考えが、ある新たなる良識にとって代わるべきだと考えてきた」。

海の資源 2

もしも国際法が適用されたなら、その石油は誰のものでもない、という結論に落ち着いていたかもしれません。


結局、海の自由という一般的な考え方を、領海を越えた海の全域にあてはめれば、その海床はレ・ヌリウス、法的にいう無人地帯(ノーマンズ・ランド)、つまり誰の土地でもないということになります。


石油は、言い換えれば、それを取得する技術を持った者たちの、争奪のフェア・ゲームということになることも考えられました。


アメリカ政府は、それが無人地帯のままである状態が、そう長くはないことを確信していました。


すでに第二次世界大戦中から、ルーズベルト大統領の顧問の何人かは、アメリカ大陸沿岸の海洋資源への関心を示しはじめていました。


一方で、彼らは沿岸漁業についても論議し、なかには保護の必要なもものもあることを主張しました。


しかし、そうした資源よりもはるかに重要であったのは、海上油井でした。


大戦中、天文学的な数字の消費量と、そのために大陸中の埋蔵された石油を求めて、地中深く掘り進めていた彼らは、この国が、それを必要とする日がくることを知っていました。

海の資源

実際には、この予期せぬ大儲けに、ノルウェーが努力する必要はありませんでした。


準備段階での法的な作業の大半を占める、ここの石油が誰のものになるのか、ということを見極める難しい仕事は、アメリカ合衆国によって処理されたのです。


70年前、アメリカは、海上で石油を掘削する技術を持っていた唯一の国でした。


1941年までに、メキシコ湾海上に数基の油井が掘削され、そのうちの1つは、岸から約2マイルの地点にありました。


それは、アメリカの領海域よりも、わずか1マイル短い距離で、つまり当時の(アメリカの)海の管轄域は、3マイル(約4・8キロ)だったのです。


当然のことながら、人々はもしこの境界を越えて掘穿を行いたい時は、どうすればよいのだろうということ
に思案をめぐらせました。


誰にその許可申請をすればよいのか?


そして、いったいその石油は、誰のものになるのか?

海と油井 5

このプラットホーム・ツアーを終えて、オスベルグが、その収容施設もさることながら、1つのモデル的な設備となっていることがわかりました。


それは、ノルウェー本土に直接石油を供給する設備としては、最初の(そして唯一の)ものであるということからもわかります。


また、あらかじめ羅窺された油井を利用したこと、精巧なガス注入システムを実用化しているのも、ここが初めてです。


ここまでくるのに注ぎ込まれた資金は、驚くべき額でしたが、そこから生み出された、そしてこれから生み出されるであろう金額もまた、同じく圧倒的です。


そして、ここはノルウェーにおける唯一の基地なのです。


神話では、その乳房から酒を吸っていた勇ましい戦士たちはいまや、まるで永遠に流出し続けるかのような石油で儲ける戦士たちの姿にすり代わり、彼らを伴う現代のヘイドランの姿が、私の頭の中に幾度も浮かび上がりました。


海上油井をめぐる各国の競争に、勝者というものがあったならば、それは、ノルウェーにちがいないだろうと私は思います。

海と油井 4

私が完全に、バッテリーを身体から外したことを確かめた後に彼が、基地の他のさまざまな施設を案内してくれました。


居住空間の隣にあるのは、発電所です。


これは、都市で働く5万人分相当の電力を発電することができます。


発電所の隣には、複雑な仕組みのモジュールがあります。


これは、本土へ石油を送出する前に、油井の流れを、ガス、石油、そして水に分けるものです。


回収されたガスは、基地の圧縮機に注入され、より多くの回収のために再利用されています。


彼によると、こうしたガス注入システムを装備するのに、6億ドルの投資を必要としましたが、これからの15年以内で、現在トロルからオスベルグへ送出しているガスのほとんどの量を、オスベルグ独自で、回収できるようになるそうです。


それまでに、ガスの価格が上がっていれば、おそらくそうなるでしょう。


ノルスク・ハイドロ社とその共同経営各社は、この新システムから、かなりの利益を得ることができるでしょう。

海と油井 3

こうしたことが2度と起こらぬよう、彼らは、定期的にガスの漏出があるかどうかを点検しています。


彼らの安全基準は、非常に厳格です。


たとえば、作業現場へはいる前に、私は携帯していたカメラ、小さなライトメーターのバッテリーにいたるまで、すべてのバッテリーを外すよういわれました。


安全管理担当のマネージャーが、そういう物の携帯を許さないからです。


また、定期的に行われる火災避難訓練も、緊急時の手順がまちがいなく、習慣となるようにしているそうです。


「こういうことはすべて、予告放送なしで行われます」と係員はつけ加えました。


「スタッフがいつでも地に足をつけて落ち着いていられるように。


ときどき、海にダミーのレスキュー・ボートを放り投げることもあるんです。


それも緊急脱出の1つであるということを、彼らに忘れさせないためにね」。

海と油井 2

始まってまもない頃、オスベルグは完全に男の世界でした。


しかし、いまは変わったのです。


歩いている間、私は、多くの女性がさまざまな仕事に就き、なかには掘削作業塔でも働いているのを見かけました。


「1989年から、すべての職種を女性にも開放したんです」と彼はいいました。


「最初、彼女たちがここへ来たときに」と彼は続けて、「売店の香水の売上が、7倍になってしまったんです」。


オスベルグの売店で、女性たちが一時的にしろ、行列になってそうした物を買い求める様を想像して、私はうなずきました。


しかし、彼は私を制しました。


「違うんです、女性たちではなく、それをやり始めたのは、男性たちのほうだったのですよ」。


それでは、ほかに何か心配することはないのか、という私の問いに、「安全(管理)で」との答えが返ってきました。


「このプラットホームには、恐ろしいほどの量のガスが通っています。ですから、つねに漏出の危険性を秘めているのです」。


これが、いかに危険かということを彼から聞く必要はありません。


プラットホームで働く誰もにとって、いちばんの悪夢が、1987年、パイパー・アルファのプラットホームで起こったのでした。

海と油井

最初のメキシコ湾のプラットホームから、オスベルグ基地まで、わずか50年の隔たりがあるだけですが、両者の間には、500年といってもよいくらいのひらきがあります。


それはなにも、規模や技術の問題に比してのことだけではありません。


海上油井の第1号となった、メキシコ湾に浮かぶ小さなプラットホームは、重量1000トン以下、水深14フィート(約4・2メートル)のところにつくられました。


オスベルグ・アルファ基地は、重量60万トン以上、水深340フィートの海にあります。


こうしたことは、10年や、20年前には考えられなかったことなのです。


私がプラットホームに着くのを待っていてくれたのは、安全管理担当でした。


まず手始めに、彼は、過去に「不可能であったこと」が、現在なんの心配もなく可能となっている数々の例を、手際よく説明しながら、私を中へ案内してくれました。


ここオスベルグからノルウェー本土まで、ノルウェー海溝深く通っているパイプライン、巨大なトロル基地から、石油埋蔵タンクへ石油が注入されるシステムなどが、そうした例のうちにはいります。


彼はさらに、これから掘削を待っている油井のことや、プラットホームから、あらゆる方向に分岐している油井のことも話してくれました。


これらはすべて、数年前まではとても考えられなかったことであり、巨額の資金の前には、不可能が可能になるという現実を見せつけられた思いがしました。

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